


職務発明対価の議論が再燃
「独占の利益」算定で新解釈
[2010/08/23] |
職務発明の譲渡等の対価である「相当の対価」(特許法35条3項)が裁判所でどう算定されるかは、産業界、特にメーカー等の従業員によりなされる発明が事業において重要となる企業にとって大きな関心事だが、さまざまな論点があるためになかなか基準が明確にならない。職務発明対価訴訟において判決に至る考え方がぶれるために、例えばそういった会社がM&Aをする際に、将来従業員からどの程度の対価が請求される可能性があるか等の予測がつきにくい。その職務発明に再び注目が集まっている。その理由と今後の方向性について、西村あさひ法律事務所弁護士の岩瀬ひとみ氏に聞いた。
(聞き手はテクノアソシエーツ 朝倉博史)
--職務発明に関する話題がここへ来てまた再燃しているようですが。
これまで最も脚光を浴びたのは、おそらく、2004年1月に東京地裁で判決が下された、青色LEDの発明者である中村修二氏が日亜化学工業に対して起こした職務発明対価訴訟、いわゆる“中村裁判”だと思います。それに前後して日立製作所や味の素などに対する職務発明対価訴訟で認容額の大きな判決(日立製作所事件は高裁レベル、味の素事件は地裁レベルの判決)が立て続けにあったこともあり、このころ職務発明対価訴訟への世間の関心が高まりました。特に中村裁判はその認容額が巨額(相当の対価の額を約604億円と認定し、請求額である200億円を認容)だったことから海外からも驚きの目で見られたようです。これを境に職務発明対価訴訟の数が急増し、一時ブームのようになりましたが、その後、沈静化しました。最近では必ずしも件数は多くなく、また認容額も一時のような高額にはならず、落ち着いてきているという状況でした。そのような状況のなか、2009年に知的財産高等裁判所によるキヤノン事件判決とブラザー工業事件判決が下され、再び注目を集めることになりました。
--その二つの判決が、なぜ注目できるのでしょうか。
両事件とも、原審(東京地方裁判所判決)の「相当の対価」の算定において考え方を変え、対価請求認容額を大幅に増額したためです。いずれも元本額で、キヤノン事件では3352万円から5626万円へ、ブラザー工業事件では3705万円から5638万円へ、それぞれ増額されました。
--具体的には、「相当の対価」の算定の考え方がどのように変わったのでしょうか。
「相当の対価」は、「使用者(企業側)の利益」に「従業者の貢献度」をかけて算出されます。議論の対象となるのは、主に前者の「使用者の利益」に関する考え方です。この算定の基礎となる「使用者の利益」は、基本的に、権利を承継した特許発明を実施して使用者が得た利益のうち、他を排除したことで得られた「独占の利益」に限られると解されており、この点については異論がありません。
議論が分かれるのは、何をもって「独占の利益」とするかということです。もし使用者が自らは実施せずに他社にライセンスするだけでしたら、その他社から得られるライセンス料がまさに「独占の利益」であるということで話は簡単です。複雑なのは、使用者が自ら実施している場合、特に、使用者が実施し、さらに他社にもライセンスしているような場合です。そのような場合に、使用者が自ら実施している分について「独占の利益」が認められるのか、認められるとしてどのように算定すべきかが議論になります。今回のキヤノン事件とブラザー工業事件はいずれも、使用者自ら実施し、かつ他社にもライセンスをしていたケースです。
過去の裁判例では、このように使用者が実施し他社にもライセンスしている場合における自社実施分については、その使用者(企業)のライセンス・ポリシーがどのようなものか、競業企業が代替技術を使用しているか、使用者が承継した特許発明と代替技術の差異など、複数のファクタを考慮して「独占の利益」の有無を判断すべきとされ、そのような考慮を経て、実際には自社実施分については「独占の利益」があまり認められていませんでした。今回の、キヤノン事件とブラザー工業事件も、地裁レベルでは、このような考え方が採られており、結果、キヤノン事件では「独占の利益」は認められず、ブラザー工業事件では一部「独占の利益」がありとされるに留まっていました。
ところが、昨年出された両事件の知財高裁の判決では、いずれも、自社実施分についての「独占の利益」は原則として売上高の40〜50%であるとし、そこから、いくつかのファクタを考慮した上で最終的に、キヤノン事件では売上高の10%を「独占の利益」とし、ブラザー工業事件でも、原審よりも大きい「独占の利益」を認定しました。
このように自社実施分についても原則として40〜50%は「独占の利益」であるとはっきりと明示した点は、それまでの裁判例との大きな違いといえます。ただし、この40〜50%の根拠についてはその説明がなされていなかったことから、この点について首をかしげる専門家も少なくないようです。
--話がなかなか単純ではありませんね。
職務発明対価請求については論点が多くあります。そして、この「相当の対価」の考え方については、背後に、特許法35条の制度が、インセンティブのためのもの、つまり、使用者の発明に対するインセンティブを確保しつつ従業者にも発明をすることについてインセンティブを与えるものであるという考え方と、使用者が発明により得た利益を発明をした従業者に配分するものであるという考え方と、大きくわけて2つのアプローチがあります。いずれによるかで、各論点の結論が変わってくるものと思われます。
--企業側はどのように対応しておかなければならないでしょうか。
2004年に特許法35条が改正され、企業内の対価算定に関する手続が重視されるようになりました。つまり、対価について定めがない場合か、職務発明規程の制定に際しての使用者と従業者との間の協議の状況、基準の開示の状況、額の算定について行われる従業者からの意見聴取の状況等を考慮して、対価の支払いが不合理と認められた場合のみ、裁判所が相当の対価を判断することとなりました。
ですから、企業側としてはルールの策定と運用の部分をきちんと公正に行うことが重要です。手続面を公正にやっておけば、従業者側の納得が得られ、対価を求めて訴訟が提起されるということも事実上減るでしょうし、仮に訴訟が提起されても、不合理でないということで勝てる可能性が高くなるわけです。
ただ、不合理とされないためにどこまでするべきかはまだ必ずしも明確ではないですし、手続面が合理的に整っていたとしても支払われた対価があまりに低いというような場合には、裁判所が決めることになります。また、改正法施行以前に権利承継された発明についてはいまだ旧法に基づいて請求がなされます。ですので、依然として、キヤノン事件、ブラザー工業事件のような裁判の動向にも注意しておくべきだと思います。
--キヤノン事件、ブラザー工業事件共に上告されていますが、どのような結果になりそうですか。
結果を予想することは難しいですが、自社実施分の「独占の利益」に関する「40〜50%」という点については明確な根拠が示されていないので、それがそのまま維持されない可能性もあると思っています。今回のキヤノン事件、ブラザー工業事件の判決からわかるとおり、裁判における「相当の対価」の算定はまだまだ予測しづらい部分が残っていると言わざるを得ません。両事件の最高裁判所の判断によって算定基準がより明確になることを期待しています。

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