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発明や特許の価値評価に対するキヤノン田中常務の提言(3)
周囲の技術体系や技術の経時変化を考慮すべし
[2005/04/06]


キヤノン常務取締役
知的財産法務本部長
田中信義氏

 2005年4月1日から職務発明に関する改正特許法35条が施行される。職務発明問題は会社の経営を左右する大きな問題になっており,今回の改正に合わせて各企業とも職務発明規程を改正したり従業員へ説明したりといった具合に法的リスクマネジメントに多くの時間をかけている。しかし,これだけで会社と従業員をめぐる職務発明対価の問題が完全に解決する訳ではない。中でも,発明の評価・算定方法は依然として大きな問題のまま残っている。この問題に対してキヤノン常務取締役・知的財産法務本部長の田中信義氏が,技術の経時変化に着目した発明評価の考え方を今回初めて提示した。同氏はキヤノンで技術開発,事業,知財,経営の各部門を歴任しており,知財に関する戦略を経営の観点から統括できる立場として最近注目を集めている「知的財産統括責任者(CIPO: Chief Intellectual Property Officer)」の草分けと言える。その経験を基に,発明の価値評価のあり方を,実例を交えて4回連載で詳細に議論している。同氏自らが筆を取って知財Awarenessに寄稿した今回の論文は,これまで知財部門の専権事項であった発明の解釈・評価のあり方に一石を投じており,今後の職務発明訴訟にも大きな影響を与える可能性がある。第3回の今回は前回示した特許のクレーム(特許請求の範囲)に記載された数式条件を,技術的な視点から詳細に検討していく。
(日経BP知財Awareness編集委員 久保田茂夫)

 今回は,前回示した特許の本質的な意味を技術的な視点からもう少し掘り下げて分析する。これにより,本特許のクレーム中に記載されている条件式

α<4π/N−W/D

が抱える問題について詳しく考察してみる。
 元々この特許発明の目的は,特許公報の記載にあるように「ƒ−θ共役型倒れ補正光学系を有する走査光学系において有害な静止ゴースト像が発生するという問題点を解消し,偏向器の回転に関係なくゴースト像を常に走査線外の同一位置に静止させる,ゴースト像を除去する走査光学系」を提供することであり,その目的を達成するために入射角αを(4π/N−W/D)より小さく選定することになっている。一方,クレームの記載ではポリゴン・ミラーの面数Nについての限定が特にないので,例えばN=1という一面しかないミラーの場合もクレーム範囲に入ることになる。
 しかし,N=1の場合には隣接する反射面がなく,静止ゴースト像自体が発生しない。さらにN=2〜4,すなわち2〜4面ポリゴン・ミラーの場合も,簡単な幾何光学的な図を書けば分かるように,ポリゴン・ミラーの隣接した反射面からの反射光は感光ドラム方向に戻ってこない。すなわちN≦4では,静止ゴースト像は発生せず,この発明が生まれる前提となった問題がそもそも発生しない。
 次にN≧5の場合を考える。特許クレームには,数式条件として(α<4π/N−W/D)だけが記載されているので,一例として数式条件を満たすα=0の場合を検討してみる。この場合,N=5と仮定すると,ポリゴン・ミラーで再反射された散乱反射光(すなわち静止ゴースト像を発生させる光)の光軸に対する角度は

4π/N=4π/5=0.8π≒144°

になって,再反射した散乱反射光は感光ドラム方向に戻ってこない。5面のポリゴン・ミラーでは,入射角α=0のときは静止ゴースト像が発生せず,問題自体が起きないことになる。すなわち,クレームの数式条件の範囲に入っているα=0の近傍では,静止ゴースト像が発生せずに問題が起きないことが明らかである。
 これらのことを考慮して静止ゴースト像が発生するレーザー光の入射角αの最小条件を再度検討する。この条件を導出するための基本的な考え方は,レーザー光が有効なレンズ径のぎりぎりの近傍から入射し,ポリゴン・ミラーで再反射した散乱反射光が有効なレンズ径のぎりぎりを通過する場合を考えることである(図10)。N面体のポリゴン・ミラーの偏向角は,入射角αによらず±2π/Nである。このことより,再反射した散乱反射光の角度は4π/N―αとなり,この角度がポリゴン・ミラーの偏向角2π/Nより大きいと再反射した散乱反射光はレンズに再入射しない。静止ゴースト像を発生させるのはレンズに再入射した光であるから,静止ゴースト像が発生するためには

4π/N―α<2π/N

の条件式を満たす必要がある。この条件式から,静止ゴースト像が発生するのは入射角αについて

α>2π/N

という条件を満たしている場合であることが分かる。

図10:ゴースト光とレンズ径の関係

 以上の解析より,静止ゴースト像が発生する問題が存在し,なおかつその問題を解決するための入射角αについての数式条件は,

2π/N<α<4π/N−W/D (N≧5)

ということになる。なお,この条件式はポリゴン・ミラーの偏向角±2π/Nとレンズの有効径が一致している場合の条件式である。
 さらに,実際のLBPではポリゴン・ミラーに入射するレーザー光は,一定のスポットがある程度の大きさを持っていたり,ポリゴン・ミラーの分割誤差に起因する印字開始点の走査方向の横ズレを補正するために光検出器を配置したりするために生じる制限が加わる。レーザー光のスポット径がある程度の大きさを持っていると,偏向角±2π/Nでレーザー光を走査する際,ポリゴン・ミラーの端部ではレーザー光の一部がポリゴン・ミラーで蹴られてしまうため,感光ドラム面上におけるレーザー光の走査領域の端部付近では光量が低下して照度均一性が確保できなくなる。また,光検出器は印字に先立ってレーザー光を検出できる場所に配置する必要がある。これらのことから,実際のレンズ有効径は±2π/Nより小さく設計することになる。この割合を示す係数k(0<k<1)は,通常0.8程度に設定していることが多い。
 このことから,条件式は

2π(2−k)/N<α<4π/N−W/D (N≧5)

となる。
 最後に,ポリゴン・ミラーの面数Nについて考察する。有効な走査幅を確保できることを考慮すると,感光ドラムへの最大入射角はW/Dになる。よって,この最大入射角はポリゴン・ミラーの偏向角2π/Nより小さくする必要がある。すなわち,

2π/N>W/D

であり,この式を変形すると,
N<2πD/W

となり,この式をNが満たす必要がある。
 以上のことをすべて考慮すると,技術的に厳密な入射角αに対する条件式は,

2π(2−k)/N<α<4π/N−W/D (5≦N≦2πD/W)

となり,特許クレームに記載された条件式

α<4π/N−W/D

とはかなり異なった式になる。

数式限定条件が適切でないと価値評価を誤る
 このように,技術的に厳密な条件式とは異なる条件式をクレームに記載したことにより,特許クレームに記載された数式限定の発明の技術範囲はクレーム記載の文言通りならば当初の問題が起きない範囲まで含むことになったものである。この結果,数式限定条件を含むクレーム記載を文言通りに解釈して発明の技術範囲を判断すると,かなり多くの製品がこの特許を使用していると思い込むことになり,この特許を評価する際の種々の誤解や判断ミスが発生する原因になった。
 しかし,本来は,数式限定条件付きの特許を製品に使用したか否かを判断する際,製品設計の数値がたまたまその数式限定条件の範囲に入っていたとしても,その発明が解決しようとした問題自体が当初から存在しない場合は,その発明の技術的範囲に属さないと解釈すべきだと思う。この考えに則って,静止ゴースト像の発生を技術的に詳細に検討した条件式によって判断すると,実際には大部分の製品はこの特許を使用していないことが分かる。
 この事例は,発明の価値評価や技術の評価がいかに難しいかということを示している。企業などにおいて,発明の価値を評価するとき,厳密かつ正確に解析する時間がないことが多く,単純に数式限定範囲に入っているか否かだけで判断しがちである。発明者は光学の専門家であり,上記のような問題点に気が付いて適正な条件式に修正することは可能だったと思われるが,特許公報を読む限りは残念ながらそのような検討・修正は行わなかったように思われる。

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