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島津製作所・田中耕一氏が語った「エンジニアへのこだわり」
特許庁主催のシンポジウムで講演

[2005/05/13]

島津製作所・田中耕一氏 2005年4月18日に特許庁が東京都内で開催した「発明の日記念シンポジウム」において,島津製作所・フェローの田中耕一氏が「ソフトレーザ脱離法の発明と知的財産」をテーマに講演を行った。「ソフトレーザ脱離法」はイオン化した分子の質量分析法であり,この発明によって田中氏は2002年のノーベル化学賞を受賞した。
 田中氏は「開発当時は自分たちの技術の重要性を認識できなかった」と話し,完成した質量分析装置に関するいくつかの特許を放棄していたことを明らかした。現在,研究所の所長を務める田中氏は,研究開発の第一線にいることへの想いとともに,「チームワークを大切にすれば日本のエンジニアも独創的な発明ができる」(田中氏)との考えを示した。
(まとめは河井貴之=日経BP知財Awareness編集)


「ソフトレーザ脱離法」は事業化・製品の1部分
 ソフトレーザ脱離法は,タンパク質などの壊れやすい分子などを質量分析計で解析するために開発した。あくまで分子イオンを生成する技術であり,そのイオンを可視・計測できなければ,製品化は達成できない。質量分析装置という1つの製品を開発するためには,生成した分子イオンについて選別・検出・測定の各段階の開発が必要だった。
 1986年から1988年にかけて,私を含めて5人の開発グループは質量分析装置の開発に没頭した。この装置は,「TOFMS(Time-of-Flight Mass Spectrometer:飛行時間型質量分析)」という技術をベースにしており,開発者はそれぞれが持つ化学,薬学,医学,物理,電気,機械といった専門分野を生かして,各部位の構築に取り組んだ。1988年に,質量分析装置「LAMS-50K」の製品化に成功した。

「田中たちは知財を重視しなかった」の真実
 率直に言って,開発当時は自分たちの技術が持つ重要性を認識しきれていなかった。われわれ開発者の側だけでなく,社会的なニーズとしても質量分析装置の重要性はまだ理解されていなかった。「LAMS-50K」は,米国の企業1社だけが購入した。
 こうした状況もあり,私自身もソフトレーザ脱離法を開発した意義を十分には理解していなかった。「LAMS-50K」の製品化からしばらく経った1990年代中盤以降に,欧米の化学者を通じて質量分析技術は大きな進歩を遂げ,それに伴い市場ニーズが急速に高まったのである。こうした欧米の化学者がソフトレーザ脱離法に着目して論文などで引用してくれた。それを期に大きな注目が集まるようになり,2002年のノーベル化学賞の受賞へとつながった。
 ノーベル賞の受賞当時,「田中たちは知的財産を重視してこなかった。ノーベル賞をもらうような技術をなぜ放置していたのか」と呆れられる場面がしばしばあった。しかし,われわれ開発チームは,技術や知財を軽視していたわけではない。「LAMS-50K」に関連した技術には,特許を出願したものの認められなかったものがある。反対に,特許を取得しつつも途中で権利放棄したものもあった。これは特許権の維持費を削減するためであり,確かに現時点から考えると「もったいないことをした」という気持ちもある。しかしながら,先に述べたように,質量分析技術をめぐる急激な社会環境の変化を当時に予測することは困難だった。
 ソフトレーザ脱離法については,職務発明として1985年に日本で特許を出願し,1993年に登録された。海外では,英語による正式論文として学会で1988年に発表した。イオン化に成功したのは1985年であり,対外的な発表までには2年以上を要した。この期間がまさに製品開発の時期だった。この間は,社内においてもタンパク質のイオン化の成功は秘密事項としてほとんどの社員には知らさなかった。

「エンジニア」へのこだわりから今も開発の第一線に
 ノーベル賞授賞式の際は,「LAMS-50K」開発チームの5人でスウェーデンのストックホルムに赴いた。私の技術は「LAMS-50K」の研究開発から生まれたものであり,それは5人のチームワークがなければ成し遂げられなかったからである。
 2002年に私はフェローに就任し,同時に「田中耕一記念質量分析研究所」の所長になった。研究所の名前は,ふだんは「記念」を付けずに呼んでいる。なかば冗談だが,「まだ記念にされてしまう気はない」という気持ちもある。
 私は理論よりも実用を重視して,社会に役立つ技術を提供する使命と喜びを何よりも大切に考えている。それゆえ,「エンジニア」であることにこだわり,誇りを持っている。エンジニアは,「基礎研究開発・実験」,「製品化・組み立て・テスト」,「販売活動・顧客訪問」,そして「応用分野に関するユーザーとの共同開発」というサイクルを繰り返して,製品を生み出す。私自身,入社以来このサイクルを何度も繰り返しており,やりがいを実感できる貴重な経験を積むことができた。研究所所長という立場の現在も,私が他の研究員とともに1エンジニアとして研究開発の現場に立つ理由はここにある。

「日本のエンジニアが独創的ではない」は大きな誤解
 従来,日本人,特にエンジニアに関しては,「独創的なことができない」という「常識」が根付いていた気がする。私自身,研究開発で長らく海外に赴任していた際には,充実した設備環境や研究活動の自由さを肌で感じて,こうした常識を信じていた。しかし,現在は,「日本のエンジニアにこそ独創的な研究開発を行う下地がある」と感じている。その理由は,独創性を支える「チームワーク」の存在であり,私自身の経験も含めて,日本の「ものづくり」にはこの点で豊かな歴史と土壌があるからだ。
 チームワークを「仲良しクラブ」と履き違えることさえしなければ,異分野間のチームワークから,今後の日本を支えるような独創的な発明や知的財産が必ず生まれる。

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